04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
第1日 第2日 第3日 第4日 第5日 第6日 第7日 第8日 第9日 第10日 第11日 第12日 第13日・第14日


●第8日 04年12月31日(金) アマンタニ島→タキーレ島→プーノ

 夜半、予想通り激しい雨が降る。あまりに寒く、何度も目が覚めた。余っているベッドの毛布を使って、ようやく眠ることができたが、今度は軽い高山病の症状か、息苦しくなって起きたりした。
 今日はタキーレ島に行って、プーノに戻る。07:45に港に集合なのだが、我々は港に一番近いからゆっくり準備すれば朝食良い。昨晩、シャワーを浴びていないから、山頂まで登ったときの汗でねっとりした感じがする。しかしシャワーなどと贅沢は言っていられない。水は貴重だし、電気が来ていないから冷たい水だろうし、そもそもシャワーを使った形跡がないから水が出るかどうか。念入りに顔だけ洗って、朝の準備は完了した。朝食は、小麦粉を練って揚げたもので、ドーナツとクッキーの中間ほどの固さだ。砂糖は入っていないようだが、ほんのり甘味が感じられる。香ばしくて素朴な味わいは結構なものであるが、ただ、これだけだと少々飽きる。Sも私も、ちょうど半分くらい食べたところでもう食べられなくなってしまった。残りは一つの器にまとめておき、1組分を洗って返した。
 トイレに行くと、なんと、紙がない。紙はないの、と女の子にスペイン語で尋ねるが分からないという。貴重な生活物資はどこかに隠してあるのか..見回すと、家には男性が居なくなっている。仕事に出かけたのか。止むを得ない、これは手で拭いて洗うしかない。あまり気味の良いものではないが、よく洗って、それで良しとした。
 出発時刻が近づいたので、女の子に日本から持ってきた「こんにゃく畑」(ゼリー)を10個差し上げる。ペルーの田舎では、観光客が子供に上げる飴などで虫歯が増えているという話なので、砂糖を使っていないお菓子が良いだろう、ということで持ってきたのだ。もっとも、半分以上はSが旅行中に食べてしまっているが..Sが、お兄さんと一緒に食べてね、とスペイン語で言うが通じただろうか。

船は現れず.. 荷物を持ち、港に向かう。が、港には船はおらず、周囲の湖面にもいない。出発5分前に着いたが、ここ数分で船が来ることはなさそうである。つまり船が遅刻しているのだ。しばらくすると雨が降りだした。スイス人S君達が来る。偶然だけど、この2人と我々はいつも近いところに居るよ仕事に出る家族うだ。S君はルツェルンの人で、良い街だよ、日本人もたくさん来るよ、と言う。私が10年前にバーゼルに1泊したという話をすると、ああ、あそこも良い街だねえ、としばらくスイスのお話をする。S君はカメラもけっこう好きなようで、ニコンのD70(デジタル一眼レフ)を持ち歩いている。その話をすると、いや実はこれは彼女の持ち物で、あっちの方がカメラ好きなんだよ、と言う。ところでそれは(と、私のMZ-Sを見る)、日本製なんだ。こどんよりとしているのニコンは日本製じゃないんだよ。と残念そうに話す。何ヶ国語(少なくとも独・英・西)もペラペラな国際派、と思っていたがカメラの製造国を気にするなんて、意外な感じがした。その、D70オーナーの彼女が、ポンチョを供出してここに荷物をまとめようと言う。アグアス・カリテエンテスとかで売っている、ビニールの安っぽいやつだ。皆、有難くその提案に乗らせてもらう。プーノの宿で借りた傘は、ここまで送ってくれた現地の女性たちに使ってもらう。船は遅く、15分以上遅れて来た。荷物を持ち、傘を返してもらい、船に乗り込んだ。遅れて来た理由の説明はなかった。

 次に向かうタキーレ島は人口1600人ほどの島で、先のアマンターニの4000人に比べると少ないが、島自体は大きく、タキーレもずっと坂だレストランなどもあるという。船で1時間、外は雨なので皆、船室でしょんぼりしていた。
 タキーレ島に着くころには晴れてきた。暑い日になりそうだ。港には係員がいて、入島料として2ソレスを徴収し、名前の登録などもする。我々はツアーで事前に申請されているのか、素通りだ。
中央広場にて この島も急な斜面ばかりで、ここから中央広場までひたすら登りである。高々100mくらいの登りだが、日が照ったり曇ったり、地面は濡れていて蒸し暑く、かなりつらい登りになった。私はだんだん遅れ始める。このツアーはほとんどが歩きと船だから時間に余裕があるのはありがたい。中央広場近くの集落にさしかかる。ここは人口の割にはレストランや売店などが多いように感じられる。広場はガランとしていてモニュメントの類はなく、ただの広場だ。一角では大きな建物を建築中で、何か集会所かホテルのようなものに見えたが何を建てているのかは分からない。民芸品店が2軒あり、飲料の屋台がいて、雑貨を売る売店があり、レストランがある。このレストランで昼食になるようだ。民芸品店でSが毛織の帽子を買う。お釣りがないから探してくる、と店員は外に出てしまい、それきり戻ってこない。ボリヴィア在住イングランド女性Eさんは激しく値切っていて、それが複数商品だからさらに時間がかかる。ガイドさんが説明をするから民芸品店の屋上に来てくれ、というのだが会計が終わっていないからEさんと我々の3人は上に行くことができず、遅れて行くことになった。屋上は鉄筋がむき出しだ。建設途中で止めちゃったのではないかと思わせるこの造り、ペルーでは各地で見られる。単に鉄筋が余ったのを切らないで終わっているのかも知れないが、そもそも鉄筋の寸法って、こんなに余るものなのだろうか..謎だ。
 それより何より、打ちっ放しのコンクリートの照り返しが激しく、眩しくて暑い。説明は熱心だが、環境が悪くて疲れる。島民の帽子の種別(既婚・未婚など)やどのくらいの荷物を運んでいるとか、そんな説明だ。荷物は実際に運んでいるのを見ているから重労働であることはよく分かる。しかも高地なのだ。私など、カメラと1泊の荷物だけで汗ダラダラなのだから不甲斐ない。
中央広場にて 売店の屋上から 売店屋上から、湖の方向 まぶしさに顔をしかめる筆者 泥水で遊ぶ子供


 説明がようやく終わり、昼食になる。先ほどのレストランの前に、テーブルがセットされ、そこに座る。日本人K君、イングランド人Eさんと相席だ。このレストランは島の共同運営で、いくつかの家族が交代で調理を担当するのだという。価格は10ソレスで、スープ、メイン、飲み物というセットだが、都市部では3ソレスで定食が食べられるわけで、観光地価格のようだ。スープは日ごとに決まっていて、メインは各自選べるようになっている。Sはマスのフライ、私はタキーレ式オムレツにする。スープは野菜スープで、コクがあり、多種の野菜が入っていて美味しい。今まで食べた中では最も良いと感じた。このスープに、ロコト(とうがらし)と紫玉ねぎを刻んだ薬味を入れると突然ピリ辛のスープになったが、これも素晴らしい変化だ。オムレツは玉ねぎとポテトが入ったオムレツで、下にライスが敷いてある。卵の上にはフライドポテトとトマト。香ばしくて美味しいが、塩味がまったくなくて、これは追加が欲しいところ。ポテトフライはカラッと揚がっていて、これはどこでも美味しいと思う。飲み物は、暑いからスプライトを注文したら、冷やしてある飲み物は有料であった。ま、冷蔵庫の電気代を負担しているというところか。
共同食堂のテーブルは広場に 本日のスープ マスの焼いたもの タキーレ風オムレツ

 この食事にあちこちにあるアーチは満足した。Sの注文したマスのフライもなかなか美味しいがこれも塩味が足りないような気がした。皿が魚の形をしているのがほほえましい。食事をしていたら、他の団体が広場に来た。日本人の青年がいる。昨日もアマンタニ湖は美しい島の頂上で見たから、似たようなコースで動いているようだ。この人、キヤノンのEOSの大きなデジタルカメラに、これまた大口径ズームをつけて、ちょっと威圧感がある。そして、街中の様子を1秒8コマくらいの勢いでカカカカッと連写している。しかし思うに、あんな連写がこの撮影に必要なのだろうか..ま、毎度変わり映えしない官房長官の談話を新聞記者が連写するご時世だ、アマチュアが数打ちゃ当たる撮法でも止むを得ない。半導体業界にいる私にとってはこういう人こそありがたい、と思わねば。

 一人、オーストラリアの女性が気分を悪くして昼食をパスしてしまったが、その他は皆元気である。昼食後は島の裏側に下りて、そこで船に乗る。私も食事をして元気になったつもりだが、港に向かうにはまた一山越えなければならず、広場で買ったインカコーラがどんどんなくなって行く。頂上はアマンタニ島のような広さはなく、ここから港を目指して一気に下ることになる。これがとんでもなく急斜面で、転倒すると大ケガをしそうなところだ。島の人たちは港で荷物を受け取り、島の各地に運んでいる。その荷物は一人あたり20-30kgにもなるようで、さすがの現地の人たちも息が切れて、挨拶の声もかすれて聞こえないほどだ。荷物以外に家畜も運んでいて、これは斜面を下から追い上げて行くのだが、羊たちは道端で草を食んでしまいなかなか上に進んでくれない。まさに道草を食う、ということか。面白いが降りるほうも気を遣う。
現地の人も思わず休憩 ここを降りるのか! 1人あたり20-30kgを運び上げる 花がきれいだ ついつい道草を食う

紙がなくてしょぼーん 汗だく、ほうほうの態で港に着いた。胃腸の調子がよろしくない。トイレに行ってみたら紙がない。ドアは閉まらないのではないかと思われるほど歪んでいて、ほとんど使い物にならない。困り果てた。しかも船のトイレも紙がないことは分かっている。既に皆を待たせているから、ここは諦めて船に乗ることにする。プーノまで3時間、我慢できるかどうか。天気が良い分、船室は蒸し暑く、頭痛がするがやむを得ない、強引に寝ることにする。

 起きたらウロス群島の近くであった。2時間ほどは眠ったか。少し涼しくなっている。屋根の上に気付いたらもうこんなところまで上がり、風に当たっていたら頭が冴えてきた。たった1泊だがなかなか面白いツアーだった。3800m超の山歩きというのも初体験だったし、また来たいところだ。トトラの群生地を抜けると、船小さな帆掛け舟長が下に降りろと言う。しかも、船尾の屋根の無いところでは救命胴衣を着けろと言うのだ。陸が近くなり、役人の目があるからだと思うが、そういえば出発のときは雨だったから皆船室内に篭もっていたわけで、問題はなかったのだ。とはいえ、事故の際、より危険であろう沖合いで救命胴衣は要らなくて、港近くで要るというのもちょっとヘンな話だ。まあ、10ノット程度の船では衝突事故などほぼありえないから実運営上はいいのだろうが。船長の心情を察して、船室内に入っていることにした。16時過ぎにプーノに到着する。ワゴン車でオスタルに送ってもらった。

 預けていた荷物を受け取り、部屋に入って洗濯をした。島から帰ってくると、熱い湯を流しながら洗濯をするのは何やらたいへんな贅沢に思える。気温が低いから乾くかどうか少々心配である。洗濯を終えて、外に出る。市が立っているところを歩く。今日は12月31日だが、日本でいうところの大晦日的な忙しさは感じられない。しかし露店がひしめきあう市は人出も多く活気がある。売り物で目立つのは黄色い花、黄色いパンツ、黄色い花びらをビニール袋に詰めたもの、という「黄色」のアイテムだ。新年の色は黄色、ということか。花火なども多数売られている。クリスマスでの経験からすると、爆竹などを連続で鳴らすことが多いようだが、簡単な打ち上げ式のものもあった。今晩も、盛大に鳴らすのであろう。
レールの上で商売 新年モノは黄色い ぶどうと黄色い花びら

 ドル札が尽きているので繁華街に行き、銀行でキャッシングをする。それにしても寒い。あまりに寒いのでレストランを探して歩くのにも支障を来たしそうで、宿に戻りもう1枚着ることにした。しかしやっぱり寒い。日本は冬で当然寒いが、やせ我慢をして厚い服を持ってこなかったのは失敗だったか。そんなわけで、あまり探し回る間もなく、あるレストランの前でツーリスト定食メニューなるものがあるのを見てそこに入った。奥にステージがあって、食堂の真ん中は席が撤去され、どうも新年パーティのために踊ったりするスペースを空けてあるようだ。入口付近では、新年の色である黄色の風船をたくさんつないでアーチを作ろうとしている。店員の子供か、せっかく膨らませた風船を割るのがうるさい。パーティの準備中だけど、料理は通常通り出すよ、というのでここにする。ただ、暖かい飲み物は未だできないという。うひゃ、寒いのに飲み物(定食に含まれる)が冷たいものか。客は我々だけだ。Sはブロッコリーのクレーマ、マスのクリームソース、チーズパンケーキ、スプライト。私は野菜のクレーマ、ビーフの胡椒ソース、ママレードパンケーキ、インカコーラを注文する。料理はわりと早く出てきて、美味しかった。ブロッコリーのクレーマはどぎつい緑色だったが味は素晴らしかった。途中で、他の客も入ってきて少しは話し声が増える。ビーフの胡椒ソースは塩味が濃かったが肉が柔らかくて良い。パンケーキはそれほど食べたくも無かったが付いているものなので食べた。Sの頼んだチーズはちょっとヘンな味で私には合わず。飲み物はこういうときに限って(?)しっかり冷えているのが恨めしい。食べ終えたら早々にオスタルに戻り、すぐ寝てしまった。
スープ マスのクリームソース ビーフのペッパーソース パンケーキ



第9日へ

旅行記トップへ