04年12月下旬−05年1月上旬
第1次(?)ペルー旅行
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●第10日 05年1月2日(日) リマ市内→ナスカ

 ゆっくり寝坊して、9時近くに朝食を取る。今日はもう一人の宿泊客のMさん(男)も加わり、談笑する。このMさんはCさんよりさらに優雅で、退職してタイで隠居(?)しており、年中旅行している由。1年の3分の1は旅先だというからもう、優雅というより他はない。リマの滞在予定はと聞くと、決まっていない、1週間くらいはいるつもりとのこと。はぁ、そりゃすごい。我々はもう旅も最後に近づいている。リマ観光は次回に譲ることにし、今日ナスカに移動することに決めた。枝光さんがオルメーニョ社のバスがお勧め、というのでそこへタクシーで行くことにする。Cさん、Mさんもどこかへのバスチケットを買うことにして、我々と4人でタクシーに乗る。オルメーニョのターミナルまでは10分くらいで、7ソレスくらいが相場と枝光さんにアドヴァイスされ、その額で決める。リマ市内の交通は相変わらず荒っぽい。ボロい車が多く、空気も悪い。町が大きいから10分とはいえ相当にぶっ飛ばしてバスターミナルに着いた。降りるとき、9ソレス請求される。話が違う。いくらスペイン語に不自由しているからといって、siete(7)とnueve(9)を聞き違えるほどではない。些細だがいささか腹が立つ。結局、こっちも4人だし精算しやすいから8ソレスで決着した。まあ運転手からすれば、2-3ソレスで1食浮くのだから言ってみて損はなし、というところか。もっと粘ってみてもよかった。
 チケットはすぐに取れた。13:30発、ロイヤルクラスという種別の高級バスで、ナスカまでの440kmが7時間、110ソレス(3300円)だ。日本の基準なら安いな、というところだがペルーでは飛び抜けて高級なバスなのだそうである。Mさんはチケットを買うのにパスポートがどこに行ったのか分からなくなって、切符売り場の床に布の袋を広げて探し物をしている。引ったくりが居たら恰好の獲物だと思われるが、Mさん、旅慣れているのかお人柄なのか、これでもう何年も大丈夫なのだそうで..私には真似できない芸当だ。ターミナルでCさん・Mさんと別れ、我々は江田インに戻る。13時までは時間があるし、昨夜危ない危ないとタクシーの運転手氏や通りがかりのおばちゃんにさんざん脅された江田イン周辺の散歩をしてみたい。帰りのタクシーは7ソレスで問題はなかった。

市場にて 宿に戻る。洗濯物は未だ乾いていない。気温は上がっているが湿度もあって、出発までに乾くか怪しい。昼食ついでに散歩に出かけることにする。海の方向に歩くと、市場があるというのでそこへ行ってみる。市場までは数ブロックといった距離で、散歩には丁度良い。街は平坦で、日陰がなく蒸し暑い。家々は高くはないが横に大きく、立派な建物もあるのだが手入れがいまいちで小汚い感じがす香辛料の店る。道路の舗装がいいかげんで、あちこちで穴が開いていてホコリっぽい。
 市場は、4ブロック分くらいの敷地を塀で囲んであり、中には秋葉原のパーツ屋のような、小さなブースがたくさんあってそれぞれが食料品などを売っている。料理屋もあって、美味しそうな匂いがするが、近くに肉屋とか魚屋もあって色んな匂いが渾然一体、何だかとんでもない時間が経つのを忘れるところだ。香辛料屋が面白い。たくさんの唐辛子の、干したままのものがあって、買いたい人は種類と重さを言ってその場で粉にしてもらうのだ。この市場だけでなく、プーノの露店でもこんな形式だった。歩きながら、周囲の邪魔にならないようにリコーのGR1でちゃっちゃっと撮って歩く。それでも目ざとくカメラを見た店の人に、カメラなんて持っていると危ないぞ、と忠告された。実際危ないかも知れないのだが、それを承知で1台、1番目立たないカメラを出しているのだ。荷物ごと盗られる可能性まで考えていたら、宿に籠もっているしか対策はないのだから、ある程度のリスクは覚悟だ。

 さておき、昼食にする。料理屋も分業されているから、鳥、魚、昼食デザートみたいにそれぞれを別の店で食べることにする。まずはアロス・コン・ポジョという鳥肉の煮込んだものを乗せたチャーハンのようなものを食べる。これに、さらにいろいろ乗せたり出来るようだが用語が分からないので標準の皿を出してもらう。量が多いから2人で1皿を食べる。よく味の染みた柔らかいセビチェチキンに、これまた深い味わいのごはん(炊き込みか?)がよく合っている。薬味には万能ねぎがいい。値段は2.5ソレスだったか。次にセビチェ屋に行く。これはプーノでも食べた、魚のマリネのようなものだ。強烈なタマネギと酢の香りを、イカのフライのホクホク感で中和しながら食べる。マリネになっているのは鶏肉と白身の魚のようだ。私の環境変化に弱い胃腸にはちょっと負担が大きいかもしれないが、美味しくいただいた。これで既に腹いっぱいなのだが、挙句にプリン屋にまで寄る。滋味豊かなチキン、刺激的なセビチェ、甘くて香ばしいプリン、それぞれ店は狭くて小汚い(失礼!)が、そんなことは気にならず、贅沢な気分にさえなった。物事、外見だけじゃないってことだ。

なんじゃこりゃ 時計を見ると、江田インに戻っているはずの時刻である。急がねばならない。高地ではないから走っても大丈夫だが、今度は交通が危ないので急ぎながらも気を遣う。宿に着き、洗濯物(やっぱり乾いていなかった)を取り込み、大きい荷物は預けて、2泊分の衣類を詰めた小さい袋だけで出発する。バスターミナルに着くと、ナスカ行きのロイヤルクラスは既に停まっていて、急いで乗り込んだら、エアコンがかかっていなくてたいへん暑かった。係りの人が来て、まだ出発じゃないからラウンジで待っていてくオルメーニョのバスれ、と言われる。ロイヤルクラスには専用のラウンジがあるのだ。航空機のラウンジの真似である。ここは涼しくてよいのだが、待っていても全然出発の案内がない。忘れられている可能性があるから、バスのところに行ってみたら、案の定、もう客が乗っていた。ほロイヤルクラスの座席とんどの人がラウンジに寄らずに切符売り場から直接バスに移動していたのだった。そういや、ラウンジは切符売り場から見てバスの向こうに見えるから、あまり便利ではないのである。ともあれ、気付いてよかった。
 それで、バスの室内は今度は冷房が入り、涼しくなっている。シートは航空機のビジネスクラス程度の大きな椅子で、1+2列配置で余裕がある。クッションはふかふかで快適だ。チケットを見て座席を探すのだが、これがおかしくて、窓口のPC画面で見た所と違う。2列席の並びを指定しているのに、実際の車内の番号を見ると、2列席の窓側と、1列席に座ることになってしまう。席の番号が予約システムとずれているのだ。こんなのでよく運用できていると思う。車内を見渡すに、他の客もチケットと椅子番号を見比べて首を傾げている。同様に中途半端な位置に指定されて困っている米国人女性のグループと席を交換した。

 バスは、30分遅れて発車した。元々バスの準備が整っていなかったわけでもなく、遅れて乗ってきた客もいないようなのに、何となく、遅れて出発する。理由の説明なぞない。まあ、ナスカに着くのは定刻でも20時、宿に着くだけで他の予定はないのでそれほど困りはしない。市内を抜けて、パンアメリカン・ハイウェイを南下する。リマ近郊は有料道路になっているようで、料金所が所砂漠に住む人がいないけどゴミが目立つ々にあった。これは、南米大陸の太平洋側を縦断する幹線道路で、整備が行き届いているようだ。舗装はしっかりしており、快適な運行だ。これならこんな高級なバスでなくても相当に楽な移動ができるはずで、この国のバス路線の発達ぶりが頷ける。
 さて、外の様子だが、リマの南は砂漠地帯である。リマは大きな平地にあるが、砂漠地帯は平らではなく、砂の斜面に粗末で小さな家が建ち並んでいる。クスコでも郊外の斜面にはボロい家が多かったが、ここはそれに加えて砂地だ。住みにくいと思われる。対して、比較的きれいに見える海沿いの砂丘にはお金持ちの別荘と思しき、大きな敷地を柵で囲った家がぽつぽつとある灌漑もやっている。それにしても、目立つのはゴミだ。人跡稀な砂漠に、なぜこんなにゴミがあるのか。それも、車窓から捨てているにしては大きいのもあるし、国民性と言ってしまうのは早計だろうが。列車やバスだと良くも悪くもこうした地表の細かいところが見えてしまう。とにかくゴミの投棄は残念だ。車窓風景はゴミを除けばなかなかのものだが、退屈してしばらく眠った。バスの窓が汚れていて写真も今ひとつ(着色ガラスだし)。ともあれ寝ても座っても快適なシートは気に入った。
 バスはナスカに直行ではなくて、途中の主要都市で停車する。ハイウェイから市内に入ると、途端に道路事情が悪くなり、バスはガタガタ揺れる。さらに、大きなホテルも停留所になっていて、町ではいろんなところを回って、その都度遅れが出ているようだ。

 日が暮れて、車内は客がまばらになった。ナスカまで通しで乗る人は少ない。アテンダントが飲み物のサーヴィス(2回目)に来る。冷房が効きすぎて寒いくらいなので暖かい飲み物を所望したのだが、もう湯が出ない、と言われた。ヒータの故障か、水がなくなったのかは分からないが、少々落胆する。外は暗く、スモークガラスがさらに暗い感じを助長する。パンアメリカンハイウェイは今まで海岸に近いところを走っていたが、ナスカの手前で峠道に入った。真っ暗で、このバスの他に走っている車は少ない。峠を降りて、平地を走る。ここに、地上絵が描かれているはずだが夜なので当然外の様子は分からない。時計は既に予定到着時刻の20時を回っており、かなり遅れている。宿の人が迎えに来ているはずだが、待っていてくれることを祈る。
 結局、1時間以上遅れて21時過ぎに到着した。椅子は快適だがさすがに8時間ともなると、疲れない、と言うのは嘘になる。ナスカでの宿は江田インに紹介・予約してもらったところで(名前は失念)、オルメーニョの20時着のバスで行くと言ってある。ありがたいことに、待っていてくれた。送迎車は複数の宿の共同運営なのか、2ヶ所ほど停車して客を降ろしていた。我々2人が最後で、オスタルは市内(といっても小さいが)中心部に近く、なかなか便利なところにある。バスターミナルからもそれほど距離があるわけではなく、昼間なら歩けるだろう。夜+荷物の条件下ではやはり歩かない方が良さそうだ。道路がかなり暗いのだ。
 オスタルの2階の受付に行き、チェックインする。2人で50ソレス(1500円)だ。旅が進むにつれ、宿はどんどん安くなる。クスコの1泊40ドルって高かったのだと思う。さて、車に同乗し案内してくれた若い兄ちゃんが、クスコやプーノ同様、旅行のアレンジを生業としている人で、早速明日のナスカ地上絵観覧の手配について交渉する。この人、若くて軽いノリの人だが熱心で、日本語習得をかなりまじめにやりたい様子。交渉ついでに西-日対訳の用語解説もする羽目になった。最初、50ドル(1人)の提示が交渉の末40ドルになり、まあまあ相場だと思われるからそれで頼んだ。約束事を紙に書いて、「見積書」のようなものを作る。字にクセがあって読みにくいが、とにかく紙にするのが重要だと痛感しているから、とにもかくにも作ってもらった。シティツアーもあるよ、と言われたがそれは断った。我々は明日の午後、ピスコに移動するつもりなので、余計なツアーに行くより自分達で時間を見ながら動きたいのだ。

 部屋に案内される。このオスタルは出来たばかりなのか、あまりに新しくて部屋の臭い(塗料か?)がきつい。エアコンはなく、ちょっと蒸し暑いが強力な扇風機がある。リマで乾かなかった洗濯物をもう一度洗って乾かすことにする。
 今日はほぼ一日中車に乗っていただけでそれほど疲れていないはずだが、洗濯が終わるとすぐ寝てしまった。


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