09年4月下旬−5月中旬
第4次欧州旅行


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●第5日 09年4月28日(火) ヴィーン

 今日も7時半に起床。いろいろ片付けなどをして8時過ぎに食堂に行く。今日はずいぶん混んでいる。椅子の取り合いである。4人席しか空いていなかったのでそこに座っていたら、残りの椅子ちょうだい、とおばちゃんに持っていかれてしまった。慌しい雰囲気だが、食事は今日も美味しい。
 受付に行って、延泊の件を聞いてみると、話が通っていなかった。昨日、出掛けに依頼して、夕方に確認して話が引き継がれていなくて、また今日もか。ありがちな話ではあるが、やはり気分は良くない。改めて頼んだら、部屋が変わってしまうという。しかし宿を変えるよりは面倒ではないから、それでもいいということにした。ロビーでPCを開いていたら、ホテルの人に呼ばれて、結局同じ部屋で良いということになった。
 このホテルでは地階だけ、WLANが使える。昨日はだめだったのだが、今日はつながった。昨日と設定は変えていないのだが、結局理由は分からず。メイルを見て、mixiの更新をして、チェコのホテルを予約した。プラハは予定より1泊削って2泊とした。総額74ユーロ。ドイツで1泊40、オーストリアで38、チェコで37、少しずつ安くなっている。プラハの宿は、2つの長距離鉄道駅を結ぶ地下鉄に近く、便利なのが選択の理由だ。

 今日も11時に出発。明日の予習をしてみようと思い立ち、南駅に行く。Sバーンで2駅、4分ほどのところだ。南駅の構内は立派できれいだ。プラットフォームはSudとSud(Ost)の2つに分かれている。南駅の東、とは何とも妙な言い方だが、そういえば川崎駅には西口北というバス乗り場があったな。関係ないか..要するに、南駅の、東の方向に向かう列車の出発するところというわけだろう。ここも、西駅と同じくプラットフォームはそっけなく、売店や自販機もない。売店はプラットフォームに出る前にある。これはこれで合理的ではあるが、列車が止まっているだけ、ってのも少々寂しい気はする。

 南駅ベルヴェデーレ宮殿といえば、ベルヴェデーレ宮殿だ。クリムトやシーレの常設があるところだ。せっかくだ逆光ですなあから見に行こう。南駅からだと、宮殿の裏手から入る。裏手とはいえ、そこは南側だから撮影には条件が良い。集合写真屋さんが雛壇を設置して客を待っていた。残念ながら、正面側の庭園は工事中で、庭園とは到底言えない状態だった。美術館は上宮、下宮に分かれ、先に書いた常設展があるのは上宮だ。下宮は現代美術と、企画展(いまはミュッシャ)が主体。入場料は片方だけで9.5ユーロ、共通券で13.5ユーロ、オーディオガイドは別で4ユーロと、ずいぶん高い。オーディオガイドなし、上宮のみ、ということにした。
 地階は宗教画だ。いつも思うが、こういうときに聖書を読んでおけばと思う。かなり昔に読んでいたのだが、絵を見て、さっぱり忘れているのを思い出すだけだ。1階に上がると、メインとも言えるクリムトやシーレの絵がある。クリムトの「キス」はさすがに存在感が他と違っているが、風景画も良かった。シーレは、どう言ったらいいのだろうか。言葉が見つからない。ダークでディテイルの省略された部分と、はっとさせるほどの色とリアリティが混在していて独特の世界だ。さらに2階に上がると、ポートレイトなどの展示がある。その中で、「酒・女・歌」が気に入った。昨年、シュトラウスの同名のワルツを演奏したのだ。酒・女・歌は形容詞の普通形・比較級・最高級の順に並んでいるとも言われるが、その通り、絵の中でも歌を歌う人物が中央に置かれて、その姿を壁に落書きする人の姿も見える。なるほどねえ。
 1時間半ほど居て、ショップでカードを買って出てきた。カードはクリムトの風景画で、母の日用。旅行中に母の日がきてしまうので、早めに出しておくつもりだ。
地ビールらしい
ビアレストラン 外に出て、目の前にあるトラムのD線の停留所からオペラの前まで乗る。トラムの車端の椅子に座ったら。三方が窓で、温室のように暑かった。トラムを降り、シュテファンプラーツの方向にぶらぶら歩いて、思いつきで1516というビアレストランに入る。入る、というよりは歩道にある椅子に座ったというのが正しい。地ビールの店のようで、少し濁った苦味の利いたビールだ。ヴァイセンとピルスナーの中間というのか、ここで醸造されているという触れ込みだ。食事はランチメニュー(Mittagsmenu)の7.1ユーロ、店員の女性によると、構成は本日のスープとメインディッシュだが、あいにくスープがなくなってしまいサラダになってしまうが良いか、という。サラダは、サラダの上にハムとチーズのトルティーアラップだそうで、ハムの種類はここらへんの肉、と自分の腿と尻を指し示すしぐさが面白かった。実際食べて美味しいけど、量が多くてちと飽きるスープの代わりにみると、ハムとチーズの組み合わせが良くて美味しかった。メインディッシュはマカロニにバジルと万能ねぎとチーズで味付けしたもので、これも美味しいのだが、何しろ量が多すぎる。後半には飽きてしまった。エスプレッソをもらっておしまいにする。

 食後、昨日のコンツェルトハウスの体験で懲りたので、国民歌劇場(フォルクス・オーパ)に行く道を予習しようと思う。カールスプラーツからU4で北上し、シュピッテラウからU6を2つ南に行けば良い。カールスプラーツの地下道に、Opera Toilet mit Musikなるものがあった。音楽が流れているチップトイレで、ここまでやるかねえ、と思うが面白そうなので入ってみた。小便器はバーカウンターの下で、大便器の小部屋はオペラハウスの小部屋のドアを模していた。なるほど。
 U4に乗る。今乗っているU4の終着駅はハイリゲンシュタットである。ハイリゲンシュタットとは、ヴィーン郊外の、グリンツィンクというぶどう畑の多い丘陵地の手前にある町で、ベートーヴェンが遺書を書いた地
(さらに後年「田園」交響曲を作曲した)として有名である。そして、先日私の所属するオケが演奏した交響曲第2番を完成させた地でもある。ならば行かねばなるまい。
立派ですねアパートにて ハイリゲンシュタット駅はかなり大きな駅だ。U4で来たが、Sバーンや長距離列車も止まるようだ。駅前に銅製の地図があって、その下部にStadtteil Setagayaなる文字があり、世田谷区と姉妹提携をしていることが分かる。後で調べてみたら、世田谷公園という日本式の庭園もあるとのことだった。駅から徒歩で北上し、グリンツィンク通りに左折して坂を上る。右手にDas Beethovenという看板が現れた。何かの店の看板かと思う。目指すところではないが、行ってみよう。さらに坂を上ると、そこはベートーヴェンも飲みに来たという触れ込みの飲み屋で、15年前のヴ居酒屋ィーンの最初の夜に来たプファールプラーツ・サンクトヤーコプ教会場所であることを今思い出した。あのときはシルフェスターコンツェルト
(ヴィーンフィルがニューイヤーと同じ演目を大晦日の夜にやる)の後に会社のヴィーン事務所のOさんに連れられて来たのだが、当時は夜でいまは昼間とはいえ入り口に見覚えがある。真昼間で、飲んでいる人はいないから、風の音しかせず静かなものだ。遺書の家はこの近くだったと思うがどうも思い出せない。一旦グリンツィンク通りに出て、さらに坂を上ったら案内板があった。ぐるりと裏通りを歩いてそこに着いてみると、先ほど見た居酒屋が突き当たりに見えた。なんだ、遠回りしたな。

 アパートの中庭に入って、階段を上ると展示室だが、庭で黒猫がニャーと呼ぶので、そちらに歩いていく。小さな裏庭があってきれいなところだ。黒猫はもう一匹の白い猫と走り回っていた。
 展示室はわずかに2室だ。それは以前と変わっていない。展示内容も豊富で詳しいというほどでもない。写真は撮影可能だけど、デスマスクとかにはあまり興味もないので、一通り見て部屋全体を撮って終わりにする。頻繁に引っ越したベートーヴェンであるから、実際に交響曲第2番や遺書をこの場で書いたかどうかは定かではないとも言われるが、それはともかく、ベートーヴェンが耳の病気を温泉療法で何とかしようとこの地を訪れていたことは事実であり、細かいことはこの際まあいいかと思う。
ハイリゲンシュタットでのベートーヴェンの足跡 ハイリゲンシュタットの遺書の家 正面の1階(2階)がベートーヴェンの部屋 中庭 遺書の家の内部

 帰りはバスに乗ってみる。よく考えたら、私の場合外国旅行で市内交通としてバスに乗ることは少ない。なぜかと言うと、路線が細かくて複雑ということが大きい。日本だって、日本語の表示が分かっても、初めて訪問する土地ではバスの行き先は難しいものだ。ただ、今の場合はハイリゲンシュタット駅が終点だから心配はない。ずいぶん待って、えらく混んでいるバスに乗り込んだ。郊外の爽やかな風が遮られ、車内は蒸し暑かった。

 ようやく国民歌劇場に向かう。U6の駅を降りると、道路を挟んで向かいにある。改装したとのことで、前見たときと印象が異な国民歌劇場る。前のときは外を見ただけなので、アテにはならないのだが。入って右手にチケット売り場がある。今日の公演は「ラ・ボエーム」。チケットある?と聞いたらロビイは狭い、なんとカテゴリー1(最も高いところ:75ユーロ)か、シュテエプラーツ(立ち見)のガレリー(一番安い:1.5ユーロ)しかないという。一番高いところに行ってノーネクタイでは恥ずかしいので、立ち見にする。ラ・ボエームはそんなに長くないし、大丈夫だろう。
 例によってホテルに戻り、荷物の入れ替えだ。国民歌劇場からホテルまでは30分くらいかかってしまったので、ちょっと焦る。立ち見は場所が肝心、遅れていくと何も見えない場所しか空いていない、ということになる。すぐにホテルを出て歌劇場に着いたら、幸い開場前だった。5分ほど待つと開場になる。立ち見のガレリーは一番上の部分になる。客席サイド部分にかなりの数が立てる場所、さらに中央部に数人×2列の狭いスペースがあって、中央部に空きがあるのでそこに立つことにした。場所取りの定番は柵にハンカチやマフラーをくくりつけるのだが、私は上着をかけることにした。ドア係からプログラム冊子を買う。2.8ユーロ、チケットの倍近い..
 プログラム冊子によると、元々4幕の構成を、大きな2幕にしてあるようだ。ようだ、というのは、この冊子はドイツ語で、英語は粗筋のところだけなのである。しばらく眺めていたら、隣に立っていた当地のおじさんがドイツ語で話しかけてきた。要領を得ないが、休憩までは何時間かかるの?何幕あるの?といっているらしい。何幕かはプログラムを指差して教えて上げたが、休憩まで何時間、はなんとも言えず。こんなドイツ語がろくに分からない観光客じゃなくて、ドア係のおばちゃんに聞けばいいのに、と思わないでもない。そういえば、私はよく外国で道や電車の行き先を聞かれる。分からないっての。何故だろう。よほどヒマそうに見えるのか。国民歌劇場の様子
 開演の19時になっても客席はガラガラである。そのまま演奏が始まってしまった。満席のはずなのに。定期会員が「あー、今日はラ・ボエームかー、今晩はいいや」と来ないのだろうか(むろん憶測)。オペラが始まった。歌唱はドイツ語だ。原版のイタリア語でも意味は分からないが、ドイツ語だと何かちょっと雰囲気が違って聞こえるから不思議だ。何かこう、強すぎる感じがするのだ。あとどうでもいいことだが、ミミがモデルのようなすらっとした長身で、立ち居振る舞いがなんとも立派に見えて、ちっとも貧乏に見えないのがちょっと..いやこういうのはどうしようもないから仕方ないのだが。
 ラ・ボエームというと当方少し思い出もあって、結婚披露宴をしたのがお台場の同名のレストランだった。そして、そこでロドルフォのアリアをトランペットで吹いたのである。ところでそのロドルフォ、ドイツ版の名前だろロドルフェになってしまう。これもやっぱり違和感あるなあ。
 開始20分くらいか、サイドの立ち見集団が座席に散り始めた。あんなことやっていいのだろうか。演奏中は動かないでもらいたいのだが。結局、休憩のときにドア係のおばちゃんが空いている席に行っていいよと教えてくれたので、これは暗黙の了解事項なのだろう。でもやっぱり演奏中の移動はだめだと思う。
 このオペラは曲の切れ目が少ないから、アリアの後で拍手を入れるタイミングが難しい。むきになって拍手をする必要はないのだが、せっかくなので観客もオペラの一部になりたいのだ。ただ正直言って、後半に入ってからの展開は分かりにくいし、演出も取っ組み合いが目だって何だか興ざめであった。また、大きな1幕にした1・2幕と3・4幕の間の配置転換には随分時間がかかって、舞台上でゴロゴロガタガタ、少々白けてしまった。それはともかく、オケも歌手も非常に上手かった。オケは容赦なく強奏するし、歌手はそれを軽く上回る。先に書いた、取っ組み合いをして胸倉を掴みながらの歌唱も、よく考えたらすごいことなのである。会場が円筒形で舞台への距離が近く、声がよく通るのかも知れないが、それを抜きにしても実力があるということなのだろう。

 幕間に少しお話をした日本人の女性が地下鉄で同じ方向だったので一緒に帰ることにした。名前を聞かなかったのでAさんとするが、仕事をやめて1ヶ月オーストリア、中欧(の南のほう)を回るそうだ。戻った後の仕事は決まっていないという。この不景気だとなかなか大変そうだけど、そういうことを言っても仕方ないので黙っていた。
 Aさんと別れて、そのまま地下鉄に乗っていてふと気付いた。この先、駅には食べるところがない。ホテルの周りは当然ない。ヴィーンの中心街ではないので、そもそも食堂自体が少ないのだ。たまには夕食抜きでもいいか。ホテルに戻り、日記を書いて就寝することにした。



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