09年4月下旬−5月中旬
第4次欧州旅行


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●第9日 09年5月2日(土) ライプツィヒ

 昨この手のホテルでは豪華と言えるのでは日焦りながら歩いて疲れ、早く寝たせいか、むしろ気分良く起きることができた。8時半に食堂に行ったら、ものすごく混んでいた。席がなく困っていたら、隣の会議室のようなところでも食べられることに気付き、そこで食べることにした。朝食は種類が豊富である。ハムはなんと10種類くらいある。さらにスクランブルエッグ、小さなつくねのような形のハンバーグ、シリアル、パン数種、ヨーグルト..ケーキまである。しかし野菜がない。きゅうりのスライスがちょっとだけ。せっかくのハムも、せいぜい5種類くらいしか食べられない。全部ではお腹が変になりそうだ。と言いつつも、美味しく頂いた。

 9時半くらいにホテルを出る。トラムは土曜ゆえ15分おきで、10分以上待った。風が冷たく少々寒いが、晴れ落書き防止?ているので日中は暖かいだろう。このままの格好で行く。市電から見る街は、昨日トラブったホテル近くほどではないが、やはり空き家などは見られる。アパートの地階の壁には大きな落書きがされている。現住しているアパートでは、それに対抗してか、きれいな絵を描いているところもあった。草木だったり、動物だったり。
 中央駅から市街へと歩くと、すぐにニコライ教会が現れた。想像していたよりもずっと小ぢんまりとした街である。ニコライ教会の中は自由に歩きまわれる。それどころか、皆さんフラッシュバチバチで写真を撮っているのだ。ここまで自由というのも珍しい。そういえばプラハの教会では撮影禁止だった。そんなわけでここでは私も遠慮なく撮影する。しかしフラッシュは使わない。フラッシュ直射ののっぺりした感じは好きではない。
 ニコライ教会といえば、東ドイツ体制崩壊の元になった、「平和の祈り」が行われていた教会だ。その祈りの後始まった市民デモ行進が89年秋には7万人のデモとなり、ライプツィヒ市街を取り囲む形に発展、ホーネッカー国家評議会議長の失脚に繋がって行ったのである。しかし、いまの教会にはそういった政治的な匂いはまるでない。「どんな人も入れます」と表示があり、観光客が歩いている。平和な光景だと言えるだろう。
ニコライ教会 きれいに整備されている 自由に写真を撮る 全然信仰心ないのにとりあえず

 中心を通るショッピング街に出た。デパートの前で金管楽器をネヴァ・ブラス出してなにやら準備中の人たちがいた。聞くと、サンクトペテルスブルクから来た金管五重奏団だそうだ。私は日本人で、トランペットをやるんだ、と言うと、日本も金管楽器にはいい伝統があるね、ヤマハは我々も使っているよ、と親しげに話し始めた。挙句に、「ロシアから日本へ。これはロシア音楽のプレゼントだ」とCDを1枚くれた。こうなるとこのまま立ち去るわけにも行くまい。2曲だけ聴いたが、音がきれいで、上手い。無理をしていない。こうして大道芸のように演奏する人は体力勝負だし、軽く音が出せないと続かないのだろうと思う。こういう吹き方も見習いたいと思う。2ユーロを箱に入れておいた。ある老婦人が10ユーロ札を入れようとしたら、そんなには要らないとお釣り(?)を返していた。なんだか欲の無い芸人たちである。

旧市庁舎と広場 旧市庁舎を通り、11時ごろにトーマス教会に行く。ここは言うまでもなく有名な、バッハがカントールとして働いた教会である。中に入ると、祭壇側の半分が入場禁止になっていた。先ほど見たニコライ教会はトーマス教会どこでも行けて写真も撮り放題だったのが。よく見ると、着飾った人たちが祭壇付近に。なるほどこれは、結婚式であろう。一般の人も、仕切られた(といっても綱を通路に渡しただけ)祭壇側に入らなければ自由に見ていていいのである。しかし気の毒だったのはシティツアーの人たち。さすがに式となると大声は出せず、ガイドさんが、ボソボソ少し説明してすぐに「じゃ、次に」となってしまった。せっかくのトーマス教会なのに。
 ほどなくして新郎新婦が入場。最初から2人で入ってくる。音楽は弦楽やオルガンで、聖歌隊
(この教会のものではない)のア・カペラもあった。賛美歌は、全然知らないのばかり。それにしても、説教が長い!..参列の子供はトイレに走っていた。あれだけ長いと仕方ないと思う。
 式は12時ちょうどに終了。勇躍、バッハの墓へ!のはずが、今度は全員に退去命令が。なんで、と聞いたら「英語はだめなんだ」と教会のおじさん。こんな観光客多いところでそれは困るよなあ。他の人に説明しているのを聞くと、CD Aufnahme、つまり録音であった。それくらいのドイツ語は分かるんだから、「英語はだめ」で済ませるのはやめて欲しい。それで、録音だが今日の15時からゲヴァントハウス管弦楽団とトーマス教会聖歌隊がマックス・レーガーのモテットを演奏するのだ。おそらく、それを演奏前に収録するということのようだ。外に出たら、同じように「なんで入れないの」と質問している人がいた。それもそのはず、その説明が書いてある紙が、開け放しになっているドアの表に
(つまり陰になって見えないところに)貼ってある。その紙もずいぶん小さくて、こういうところはあまり親切ではない。
トーマス教会 トーマス教会にて メンデルスゾーンのステンドグラス バッハのステンドグラス 結婚式

バッハ像とトーマス教会 教会の外にあるトーマスショップに入って、手回しオルゴールのサンプル(何も説明が書いてない)を触ったら「わが神は固き砦」(Ein feste バッハ博物館は休館中Burg ist unser Gott)が鳴ったので、これはこの箱のやつですね、と商品を指差して言ったらショップのおばちゃんが喜んでくれた。つられて、それを買った。
 トーマス教会のすぐ向かいにはバッハが住んでいた商家があり、バッハ博物館として整備されている。残念ながらそのときは工事中で、一部の展示を地階の1部屋で公開していた。寄付を募っていたので、いくらか入れておいた。

 次にゲヴァントハウスに行って明日のハイドン「四季」のチケットを購入。ホールは定員1900人でかなり大きい。2階席の一番高い(位置が)ところの席だ。値段は28.6ユーロ。
 ゲヴァントハウあなた!戻りなさい!スから何となく市内に向けて歩き始めたら、道端にメンデルスゾーンの顔が。「そこのあなた!戻りなさい!」と書いてある。メンデルスゾーンハウスの広告だった。メンデルスゾーンハウスは市街より少し外、ゲヴァントハウスからリンク(環状道路)を出た先にある。危ない危ない、忘れてはいけないところだ。リンクの外に出ると、人通りはとたんに少なくなる。実に静かな街だ。
 メンデルスゾーンハウスはすぐに見つかった。大きなアパートメントである。博物館は階段を上がって1階、庭には胸像、左手にはカフェもある。受付に行き、ライプツィヒカードを提示して1ユーロの割引を受ける(3.5→2.5ユーロ)。そして写真撮影許可は1ユーロ。日本語の解説プリントを貸してくれる。これは、各部屋の壁にある説明を訳してあるもので、全部読むと、この作曲家の生涯の主なイヴェントが網羅できる。親切なやり方だと思う。展示室はきれいに整備されている。居間、書斎、妻の居室など、それぞれの家具や絵などが当時の模様を極力再現しようとして適切に配置されていると思う。他の部屋は自筆譜や手紙、演奏会のポスターなどの展示、廊下のつきあたりにはデスマスクや葬儀告知、葬儀の模様を報じる新聞記事などがあった。その右の部屋はメンデルスゾーンの描いた水彩画が展示されている。見ると、ほとんどが最晩年のもので、多忙と伝えられているメンデルスゾーンがこうして時間をみつけて絵を描いていたんだと思うとほっとする。もっとも、今の有名人のような分刻みのスケジュールは、当時の旅人には考えられなかったとも思う。きれいな保養地の絵に、しばし見入っていた。
メンデルスゾーンハウス メンデルスゾーンの書斎 夏の夜の夢 序曲のスコア 交響曲第3番 冒頭のスケッチ
水彩画 水彩画 メンデルスゾーンハウス裏手の庭 メンデルスゾーン像

 2時間ほど居ただろうか。ゲストブックには9月の演奏会がんばります、と書いて、建物裏手の庭にあるメンデルスゾーン像には4月の演奏会で失敗しちゃいましたと余計な報告をした。

 食事のことも忘れて見学に没頭していたので、気づいたら14時半。トーマス教会に戻らねば。
 教会には既にたくさんの人が詰め掛けていたトーマス教会、バッハの墓。急いで祭壇とバッハの墓を撮影し、さて自分はどこに座るかとなると場所がない。オケや聖歌隊は祭壇と反対側にいるのでそこが見えるところは既に満席で、仕方ないのでオケがいるバルコニーの下に座った。演奏は以下のようなものである。

マックス・レーガー(全曲とも)
(1) オルガンのための序奏とパッサカリア ニ短調
(2) モテット「我らにその者を讃えさせよ」 (Lasset uns den Herren preisen)
(3) 8つの宗教的合唱曲 より 1,8,6,2番
(4) ヴァイオリンとオルガンのためのロマンツェ
(5) 「静かな喜びをもって」 (Mit Freuden zart zu dieser Fahrt)
〜【説教】〜
(6) カンタータ「わがイエスをわれ離さず」 (Meinen Jesum lass ich nicht)
〜【祈りと唱和】〜
(7) カンタータ「おお幸いなるかな、汝心正しきものたち」 (O wie selig seid ihr doch, ihr Frommen)
オルガン:ウルリヒ・ベーメ(トーマス教会オルガニスト)
トーマス教会聖歌隊
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
指揮:ゲオルク・クリストフ・ビラー(トーマスカントール)

 残念ながらどの曲も全然知らないのだ。後で調べたら、レーガーはライプツィヒ音楽院で教鞭をとったことがあるそうだ。もちろんモテット演奏会、バッハに傾倒していたということもこの演奏会がここで開かれた理由とは思う。曲は、トラディショナルな形を取りながらも、なかなか凝った和声進行をしていて、長い不協和音があったり、そこらへんは時代を反映していると思う(マーラーの13年後に生まれているのだ)。
 さて、演奏だが、まず「演奏会」ではないので拍手はしないようだ。一応宗教行事ということか。長い説教も入っている。唱和は印刷されているので私でも読むことはできた。さらに、唱和以外に譜面と歌詞も印刷されていて、これはどういうことかというと、一緒に歌えということ。プログラムの(5)の一番最初に皆さん歌い始めたのでびっくり。譜面のところに"GEMEINDE"とあって、要するに「会衆」というか、聖歌隊じゃない人たちが歌えということだろう
(聖歌隊と一緒の場合はCHOR UND GEMEINDEと書いてある)。そして..この日はCD収録をします!と放送があり、会場がおおっ、とざわめく。午後に録音すると言っていたのは、そうか、会歌詞カード(?)衆の歌がない部分なのか。そして今、会衆の歌も入れた収録をするということだろう。というわけで、収録対象の(6)と(7)では、本番(?)前に「練習」させられた。(6)は2曲だけだからまだしも、(7)は14曲中8曲!。とはいっても(7)は実は全部同じメロディで、14の歌は歌詞と和声や伴奏が異なっている変奏曲のような趣向。だから、会衆の皆が歌うのはひたすら同じメロディ。それを8回やるので、さすがに一部では帰り始める人が..ドイツ人でもこれには付き合いきれないってことか。私の居る席からは指揮者が見えないので、どのタイミングで歌い始めていいのかが分からない。それでなくても素人の歌、全体に立ち上がりが悪くて、強弱指定は守られないし、おいおいこんなんでいいのかよ、と思いながら歌っていた。どうもトーマスカントールさんもいろいろ気になったのか、練習のときにマイクで何かコメントをしていた。私にはさっぱり分からないのだが、周りのドイツ人たちは苦笑していた。
 本番を含めて同じメロディを16回歌ったわけで、けっこう疲れた。後ろのおじさんは本番では途中からバスに転向していたし、皆さんお疲れだったのだろう。ともあれ貴重な体験ではあった。日本じゃCD出ないだろうなあ..出たら買おう。

 演奏が終わり、外に出た。ロシアのブラスの演奏の音がまだ聞こえる。タフだなあ。こっちは腹が減ったのでかなり遅いが昼食にしよう。ちょうどポテトが美味しい、トーマスの裏手の広場にファストフードの店がある。そこでカレーヴュルストとポム(フライドポテト)を買う。飲み物つきで5.3ユーロ、ヴュルストは赤か白を選べるのだがヴァイス(白)、と指定。何となく片言のドイツ語で言ってみるのも面白い。ヴュルストは柔らかくて風味豊か、ポテトがカリカリで美味しい。そういえば今次旅行ではマクドナルドには行っていないが、このポテトに対抗できる質は持っていないだろうと思う。それでもけっこう盛況っぽいが。
 食べ終えると17時。もう博物館に入るには遅い時間帯だ。ホテルに戻り、旅行記まとめや洗濯をすることにした。



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