09年4月下旬−5月中旬
第4次欧州旅行


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●第23〜24日 09年5月16日(土)〜17日(日) バーゼル→フランクフルト→成田→自宅

ホテルを出る 帰国の日になった。さすがに23日目ともなると疲れている。今日は午前中いっぱいホテルで過ごすことにした。チェックアウトし、ライン川をちょっとだけ見て、バーゼル・バーディシャー駅に到着。昼食は駅のイタリアンレストランで食べて、税関の受付ボックスに書類を投函しようと思いきや、なんと税関が開いていたので、そこで手続きをした。スイス側はほとんど何も言わずスタンプを押してくれたが、ドイツ側でいろいろ協議があってちょっと面倒な雰囲気。エッガーさんの説明ではスイスの税関のスタンプがあればいいということで、免税手続きの用紙もスイス側のスタンプを押して同封の封筒で返送してくれ、という税関宛の手紙も入っている。しかし、ドイツ側の人が言うには、EU域外への持ち出しを証明するためにフランクフルトでの印も必要ではないか、と。そのために自分のパスポートと航空券の控えのコピイも添えているのだが、フランクフルトの出国審査を通った後にある窓口に行けという。それでドイツ側に送り出されてしまい、エッガーさんが準備したスイス国内の切手が貼られた封筒が無駄になってしまった。まあ、とりあえずスイスの人が必要というスイスの税関のスタンプはもらったし、というわけで、結局フランクフルト空港の郵便局からエッガーさんに書類を返送したのだった(結果は問題なし)。
ライン川 古い市電が貸切用として走っていた バーゼル・バーディシャー駅 本日の昼食

 フランクフルトへの道中は鉄道。1本目はカールスルーエまでIC、旧型の客車急行だが180km/hくらい出していてかなり速かった。それでも最後にカールスルーエの駅近辺で他の列車の遅れで進路がふさがれたらしくて、5分ほど遅れて到着した。ここでICE506列車に乗り換え。本当は4分しか乗り換え時間がないのでアウトかと思っていたら待っていてくれた。そのICEは次のマンハイムまでの60kmくらいで5分の遅れを取り戻すという荒業。むちゃくちゃ飛ばしているのが体感できた。しかしその後が駄目で、今度はフランクフルト空港近くでまた列車待ち(3本も)。単線じゃないのに待つのは、フランクフルト空港近くでいろんな方向の列車が交差するからだろう。フランクフルト空港駅はターミナルのように一方が終端になっていないが、折り返していく列車もある。いろんな地点からフランクフルト空港に客を運びたいということだと思う。しかし、乱れると簡単に遅れてしまうのが難点。
 とはいえ、私は21時の飛行機、空港に着いたのは16時半だから何も問題はない。チェックインして、郵便を出しにターミナル1に行って、またターミナル2に戻って、出国審査して免税店寄って、それでも時間余りまくりだった。
帰路、天気が良かった 天気は良いがあまり撮らず 廃止になった駅にて臨時停車中

 そういえばICEの中でどこぞの新聞(?)の人のインタヴューというか、調査を受けた(名札になんとかツァイトゥンクと書いてあったから、新聞社なのだろう)。
調査員:私は××の●●でドイチュバーンの交通について調べているのですが、切符を拝見してもいいですか(内容は推定・ドイツ語)。
私:あー、これですが、英語でお願いします。
調:ああ、そうですか。どちらから来られました?カールスルーエ(この列車の始発)?
私:いえ、バーゼル・バーディシャーです。(ついでに)フランクフルト空港までです。
調:ありがとうございます。ドイツにはどんな用事で?
私:観光です。
調:何日くらい旅行していますか?
私:うー、あー、24日間で、ドイツには、あー、9日間くらいいたような。
調:ありがとうございました。
この人、他の客とは10分以上話しこんでいた。いったい何の調査だったんだろう。客が少なくて調査が終わったから単に話し込んでいただけだったのか。私とのやりとりが短いのは、たぶん私の英語に起因すると思われる。

 話を空港に戻そう。
 手荷物検査で、長い楽器ケースに係の人が一瞬何これ、という顔をしたが、トランペットだよ、と言うと納得してくれた。普通のトランペットより長いのだが、すぐに理解してくれるあたり、比較的頻繁にこんな楽器を持つ人がここを通るのだろうか?
 なお、機内持ち込みのサイズを超過しているのだが、JALの人も空港の人も特に何も言わなかった。

 それにしても..JALが使うターミナル2は、免税店は小さいし、ラウンジは「この先行っていいの?」みたいな薄暗い辺鄙な場所にあるし、ターミナル2は差別されているのかね。そりゃ、ルフトハンザが使う1のほうが立派になるわな。
 ラウンジはまだ18時半ということもあって、人はちょぼちょぼ。それでも、旅行中に(日本からの機内を除いて)見かけた日本人の総数よりは多い。今回、本当に日本人らしき人を見なかった。有名観光コースから外れていたとも思えないが、後半はGWではないので少ないのも道理かとは思う。日本語で話したのはヴィーンだけだった。しかしそれで英語力が上がったかというと、あまりそうとも言えまい。なかなかとっさに言葉が出なくて困ることも多かった。今後も精進せねばなるまい。

 帰りはビジネスクラスである。搭乗の際にいつも思うのだが、優先搭乗して、なおかつ小走りに飛行機に向かう人がなんとなくイヤな感じだ。機内に入って自分なりのセッティングをして寛ごうというのだろうが、我先と広くもない通路を走っていく姿はあまり格好が良くない。優先搭乗するくらいだかシェルフラットシートら優良顧客なんだろうけど、たくさん飛行機に乗る客が必ずしも良いマナーで行動するとも限らないってことだな。
 かく言う私は、小走りができない。楽器ケースはソフトケースだから転んだら終わりだし、だいいち重いのだ。ゆっくり歩いて、自分の席に着いた。楽器ケースは上部収納の横の寸法にぴったりだ。計ったようにぴったりなので感動する。座席はシェルフラットシートで、収納部がほとんどない。前の座席のポケットは書籍しか入らないし、前の座席下には荷物が置けない。シェルフラットシートの下にはリクライニングしたときに自分の足が入っていくのと、丸い座席の下には荷物を固定するところがないからだ。仕方ないので、コンパクトカメラだけを手元に置いて、残りは上部収納に入れた。ビジネスクラスのお客って、貴重品をどうしているんだろうか。

 飛び立って、45分ほどで夕食である。ビジネスクラスなので、食事は皿ごとにサーヴされる。座席数が多いから、一人一人にサーヴしていると時間差が大きくなる。CAさんは大変だろうと思う。どの人がどのコースを注文したかをメモしてサーヴせねばならないし、料理はともかく、酒は種類が多いのでタイミングよく出していくのは骨が折れるだろう。食事は美味しかったが、23日前のことなのだが行きのファーストクラスでのインパクトが強かったので、帰りの料理は印象が薄れてしまった。トホホ。めったにCクラスなんて乗らないのに..
Cクラスの機内食 名前忘れた.. メイン料理 デザート

 さすがに寝ておこうと思う。せっかく平らになるシートだし。と思って眠っハヤシライスていたが、シート自体はだいたい平らなのだが、わずかに足のほうが下になっており、どうも寝ていて足を突っ張っていないとずりおちてしまうような気がしてよく眠れなかった。
 何度か目が覚めて、諦めて起きだした。ドイツ時間で1時過ぎに寝て、7時前に起きたから6時間弱は眠っていたようだ。日本時間だと13時、か。ならばということで、気分的には朝だがハヤシライスを注文した。もう日本時間に合わせて、食べ物から変えていこう。

荷物チェックをする息子 そこから2時間ちょっとで成田に着陸した。川崎駅に配偶者と息子が迎えに来てくれた。24日間もわがままをさせてもらって、本当にありがとう。

〜終わり〜




★カメラ関係の話
 メインはオリンパスのデジタル一眼レフ E-620、レンズは広角ズーム9-18mmF4-5.6、標準ズーム14-42mmF3.5-5.6、望遠ズーム40-150mmF4-5.6の3本。これらのカメラ・レンズは小型軽量に出来ているが写りは犠牲になっておらず、使っていて気持ち良かった。
 料理など手元のものを撮ったり、夜の散歩などではライカ D-Lux4を使った。ワイド側開放F2のズームレンズは非常に便利だ。また、コンパクトカメラの予備としてGR digital IIも持参している。D-Luxはレンズ部分がボディより飛び出しているため、ポケットには入らない。どうしてもカバンに入れるしかないため、コンサートなどでは上着の内ポケットにGRを入れていた。ほとんど使うことはなかったが。
 銀塩はフォクトレンダーのPerkeo Eで、6x6判の中判である。フィルムはコダックのE100VSを20本。しかし結局10本(120枚)しか撮らず、帰国後現像してプリントにまで至ったのはわずかに3枚だった。E-620とD-Lux4があまりに便利で機動力が高いから、どうしてもマニュアルカメラに手が回らなかった、というのが正直なところである。これではクラシックカメラを使う者として問題だと反省している。
今次旅行の機材たち


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