09年4月下旬−5月中旬
第4次欧州旅行


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●第12日 09年5月5日(火) ライプツィヒ→イエーナ→ツヴィッカウ→ライプツィヒ

 旅も何時の間にか折り返しの12日目になった。ホテルが取れていなかったことを除けば、特段のトラブルも無く過ごせている。ありがたいことだ。

 昨日アイゼナハに行ったので、今日は、元々行くかどうか迷っていたイエーナを含めて、ツヴィッカウに行くことにした。ライプツィヒから見ると、三辺が似たような所要時間の三角形になる。イエーナまではICEなのでちょっと早い(1時間)が、あとはだいたい1時間20-40分くらい。最低限見たいものは、ツヴィッカウのシューマンハウスと、イエーナの光学博物館。いずれも17時閉館なので、どちらを先にするかは駅に行って決めることにしよう。

 ライプツィヒ中央駅に行き、ちょうど出発時刻が近かったICE1507に乗り込む。1等1.5両、2等5.5両、食堂1両で、行き先はミュンヘン。そういえばミュンヘンは日程が足りなくて今回の旅行からは外したのだった。こうして目の前にその文字があると、惜しい気がする。
 車内は1等が混んでいて2等にはパラパラとしか客が居ない。イエーナから指定、と表示されているシートに座る。私はユーレイルパスなので行き先が不定であるから、車掌がどこまで?と問う。イエーナ・パラディースまで、と答える。
 ライプツィヒを出たあとしばらくは徐行運転だ。中央駅のすぐ近くには廃止されたと思われる駅がいくつかあり、非常に汚い状態で放置されている。工事しているところも多いので、再開発の途上ということだろう。郊外に出ると、平原を快適に走り、いかにもドイツの田舎という感じだ。イエーナ・パラディースには1時間で着いた。ここイエーナには長距離列車が停まるパラディース駅と、地域快速やローカル列車が停まるヴェスト駅の2つがある。今日は、パラディース駅に着いて、ヴェスト駅で出発という算段イエーナにてだ。 パラディース駅は新しくてきれショッピングモールにていだ。高架のプラットフォームには何もなく、地上にはパン屋などがある。道路を渡ると市街地の方面になる。バスの発着所があるが、それほど大きな街ではないので、そのまま通り抜ける。市街地を歩き、イエーナ大学の建物がある一角を通り、大きなショッピングモールを抜けると、光学博物館の近くに出た。ショッピングモールにはCarl Zeissと書いたプラネタリウム装置(レプリカだろうけど)が飾ってあった。そう、ここはカール・ツァイス財団の発祥の地だ。私は写真(機)好きだからツァイスも相当揃えているに違いない、と思われる方もいらっしゃるかとは思うが、案外無い。ツァイスといっても戦後は東西に分断され、どちらが正統かの裁判があったりしていろいろ難しいのでここでは省くが、イエーナの製品では60年代の一眼レフ用レンズをいくつか持っているに過ぎない。

 光学博物館は市光学博物館の展示街地の外れに近い、わりと静かな一角にある。その手前にはエルンスト・アッベ廟がある。アッベは物理学者で、ツァイスがレンズ設計のために招聘した人物だ。設計者としての仕事の他に、従業員の福利厚生向上に努めたという。アッベ廟のある公園から、道路を渡ると博物館に到着する。入場手続きをする。入場料が5ユーロ、写真撮影許可も同じく5ユーロ、オーディオガイドは6ユーロ払って後で5ユーロが返金される。日本語もあり。展示内容はかなり広範囲だ。オーディオガイドの説明は詳しく、最終的には時間がなくて全部聞けなかった。展示品では眼鏡のコレクションがすばらしい。ツァイスというブランドに関係なく、眼鏡の歴史が総覧できるようになっている。眼鏡の部屋で、全種類を撮影しているおばさんがいた。相当なマニアだな。
 顕微鏡や望遠鏡の部屋では、古い時代のものを実際に覗き込むことができる。さすがに古いものはあまりよくは見えない。一部の展示品ではいたずらでもされたのか、ピントがあっていないものもあった。カメラの展示では、古い時代は珍しいものもあって良いのだが、西のツァイスが72年にカメラ製造から撤退しているため、それ以降の展示が東のツァイスのプラクチカ系統になってしまう。種類が限定的になり、ここらへんは苦しいところだ。
レンズのカットモデル 検眼コーナーもあり 眼鏡のコレクションは膨大だ 眼鏡といえばこの人? 眼鏡工房の道具
エルンスト・アッベ 工芸品のような顕微鏡 こんな展示もあり 昔のレンズ工房

 最後は駆け足になってしまった。次はツヴィッカウに向かうため、ヴェスト駅に行かねばならない。幸い、この博物館はどちらかというとヴェスト駅のほうが近いので、何とかなるだろう、と思う。急ぎ足で歩き、駅への坂道を上っていくと、非電化の線路が現れた。なるほど、長距離とローカルは電化かそうでないかで分かれるのか。駅に何も無いと昼食抜きになってしまうが、パラディース駅と同じく、ヴィーナー・ファインベーカというパン屋のチェーン店が入っていた。魚料理のノルトゼーとこの店は、各地で見かける。ドイツならではという個性はないが、いまこの時点では選択肢がないから仕方ない。アスパラガスのピザと、シュニッツェルのサンドイッチを買う。暖めてもらったが、列車が来るまでに冷めてしまった。店で食べればよかった。

イエーナ・ヴェスト駅にて 列車は5分ほど遅れてきた。客はけっこう居て、若い人も多いのは、イエーナ大学の学生だろうか。1、2本日の昼食駅で降りる人が多かったので、車内はすぐに空いた。かくいう私は1等部分に居るので、元々空いているところに座っている。1等は2等に比べて格段に良い椅子というわけでもないが、肘掛がついていたり、ちょっとだけリクライニングしたり、大きめのテーブルがついていたりする。早速パンを食べる。ピザは美味しい。アスパラガスは例の白くて太いシュパーゲルではなく、緑色のだが、これもシュパーゲル売り場では見かけるものである。シュニッツェルサンドイッチは、味が全くついていなくて閉口した。これは残してしまった。
 食事中に検札が来る。ユのどかな車窓風景ーレイルパスなのでどこでも行けるのだが、車掌は律儀に行き先を聞いてきた。ツヴィッカウと答えると、それではこの車両ではいけない、これはケムニッツ行きだと言う。そうか、妙に長い編成だと思ったら、行き先が異なる列車を併結したものだったのだ。いつでも移動していいのかと思ったら、移動する駅は教えてあげるから待っていなさいとのことだった。どうやらそこで分割するようだった。
 車両を移動して、改めてツヴィッカウ行きに乗り込んだ。ツヴィッカウへの路線は、山間を走っていて速度はあまり出ないが、気持ちよい風景が広がっている。静かなディーゼル車両で快適な移動を楽しんだ。

 ツヴィッカウには1時間20分ほどで到着した。時刻は15時前。シューマンハウスは17時までしか開いていないので急ぐ必要がある。事前に場所を調べていなかったのでまず市内に向かうにはどうすれば良いかが分からない。駅の情報掲示板にある簡単な地図をカメラで撮っておいて、私の前に地図を覗き込んでいたおじさんの後を歩いて行くことにした。駅前はバス停とトラムの駅以外何もなく、非常に寂しい風景である。そのトラムも1本しか通っていないのだ。後で街中に行ったら、他にもトラムがあるのに、駅を通るのが1路線しかない。ここらへん、鉄道駅が結果として市街地と離れてしまった田舎の駅といったところ。
 先のおじさんはどんどん変な道を歩いていくが、方向は市街方向なので間違ってはいない。これで日が出ていれば影の方向で方位をチェックしながら歩くのが、今日はどんよりとしていて影が出ないのが残念だ。市街地にさしかかり、おじさんが違う方向に行こうとしたので、これはついていってはいけないと危険信号を感じたので、私は直進することにした。すると市内の大きなバスターミナルに到着。ここにも地図があったので撮っておく。とりあえず名前的に可能性が高いシューマン通りを抜けて、シューマンプラーツまで歩いてみた。しかし、しかしそこには何もなかった..前もってシューマンハウスのHPを探して、開館時間などを調べていたのに、住所も地図も控えてなかったのは抜け過ぎである。
ツヴィッカウ中央駅 この方向で正しい?? シューマン通り シューマンプラーツへ 音楽..に関係ありそう?

 そこで市街の繁華街のほうに折れて、しばらくするとツーリストinfoを発見。そこでシューマンハウスどこ?と聞いたら、ミニガイドを出して教えてくれた。すぐ近くであった。広場に出て右を見ると、巨大なロやっと見つけたベルトとクララの顔が出迎えてくれる。その手前のベージュの建物がシューマンの生まれた家だった。早速入って入場料を払うのだが、入場料4ユーロは良いとして、写真撮影許可が15ってのは暴利すぎる。暴利というより、これは罰金みたいなもの?要するに撮るなという意思表示であろう。しかし、ここまできてじゃあやめますではシューマンファンの沽券にかかわる。というわけでそれを払って撮りまくってきた。ただ、残念ながら公開禁止なので、ここには掲載できない。それにしても、素人がガラス越しに撮った写真なんて、影響少ないと思うんですけどねえ。何を神経質になっているんだか。
 展示内容は、ロベルトの父母から時代ごとに配置されていて、良い展示だった。室内も外もよく整備されているし。クララの説明が多くて、ひょっとしたら肖像画はクララのほうが多いのではないかと思われたが、まあこれはクララのほうが長生きしたのと、ひょっとしたらロベルトより有名人だったから、というのもあろうか。後年ドイツマルクの肖像画になったのも、クララのほうである。クララのロシア公演ではロシア人に「ところで旦那さんも何かやられるんですか?」と言われたそうだし..まあ、勝手な推測をすると、彼女が美しいから、残されたポートレイトが多い、というのが有力な気がする。
 個人的には、自筆譜とかがもうちょっとあると嬉しかった。ピアノ協奏曲の冒頭の自筆譜(1楽章の前身にあたる幻想曲)には驚いたのだが、オケが8分音符でブン、ってやったあとに、3拍目から次の小節にかけて、合計4拍の伸ばしをやることになっていた。のっけから独奏ピアノを聞こえなくしてどうすんの、と思う。さすがにこれは不採用になったみたいで、ぐしゃぐしゃと消されていた。
 その他、新聞の批評とか、手紙の類は全く歯が立たずほぼスルーしした。抄訳程度で良いから簡単な英語の説明がついていると分かりやすいのだが。この博物館にはオーディオガイドはなく、展示物が何であるかを英語で書いたパンフレット(しかも要返却)しかない。そのパンフレットをしばらく見ていないと、いま何を見ているかを、順番に思い出さねばならない。これは不便だった。土産物が非常に少なかったのも残念。博物館の土産コーナーが充実し過ぎるのも考え物だが、こうまで何もないと寂しい。
 とはいえ、これで今次旅行の一部目的は達せられたので嬉しい。一生にそう何度も、いやもう来ないと思われる場所でもあるし。シューマン像
おお、これは 外に出て、広場の反対にあるシューマン像を撮影して、しばらく街中を歩いていたら、ドイツ鉄道の駅に向かわない路線のトラムにロベルトとクララの絵があって思わず撮影。ネタとしてはこれが一番嬉しかったりして。

 駅までトラムに乗って、ライプツィヒ行きの各駅停車に乗って帰ってきた。各駅停車は今回の旅では初めてだ。1等部分には子供用の椅子と思われるものもついていて便利そうに見えるが、子供用の椅子のすぐ前にゴミ箱がついていて、足をぶつけそうなのが心配だ。途中は牧場の多い、のどかな路線だったが、ツヴィッカウ近くの駅では、おそらく東独時代の工場がつぶれたまま放置されていて不気味なところもあった。ツヴィッカウというと、トラバントを作っていたところとしても有名で、だからけっこう工業地帯ではあったはずなのだが..駅前のそういう土地が放置されているという事実はちょっとショックだ。それぞれの駅も、昔は長い列車が止まったはずの、大きなプラットフォームがあるのに、半分以上は草廃工場ぼうぼうで、実際には電気機関車がわずか2両の客車を引く短い列車が止まるに過ぎない。大規模工業が停滞し、客も自動車に移ってしまい、こんな寂しい状況になっているのだろうか。ライプツィヒで降りた客は20人もいなかったように思われた。


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