09年4月下旬−5月中旬
第4次欧州旅行


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●第11日 09年5月4日(月) ライプツィヒ→アイゼナハ→ライプツィヒ

 今日は月曜日だ。博物館めぐりには都合の悪い日である。月曜でも開いているところを探そうとしていたら、ふとガイドブックのアイゼナハという文字が目に入った。アイゼナハといえば、ルターが新約聖書のドイツ語訳をしたヴァルトブルク城があり、バッハ生誕の地である。ここに行ってみようと思う。

 その前に、旅程もそろそろ半分で、おおかたドイツ関係のガイドやパンフレットは要らないので、アイゼナハとイエナとライプツィヒの部分だけを切り取って、あとは送り返すことにする。都合よいことに、このホテルは郵便局が至近なのだ。まずは箱とテープを購入。この時点で局員に英語が通じないことが判明。しかし箱はサンプルがあるからそれを指差せば間かわいい箱違えることはない。と言いつつ荷物に対して箱が少し大きかったので、ホテルに一旦戻り、追加で衣類なども入れる。箱は妖精の女の子が描かれたかわいい絵柄で、ドイツでは有名なキャラクターらしい。後刻、youtubeで映画の予告編を見たら、私のイメージとドイツ人声優の感じがちょっと違っていた。いや、声優というより、ドイツ語がちょっと私にはキツく、妖精らしくないと感じるのだろう。と書いて思うに、妖精らしいってなんだろう..勝手に想像してキツいと思うのは失礼というものだろう。
 さて、再び郵便局に。DHLの伝票を見ると、ドイツ語だけだった。待て、これは国内用だ。国際用は別の伝票だから英語が..と思ったら独仏の2ヶ国語だった。EUに英語は要らないってことだな。何とか内容を想像で埋めて窓口に。しかしやはり抜けがあり、中身の値段はいくらなの?ライプツィヒに住んでないの?と質問が。その質問すら推測なのだが、それに対して英語で答える。何とか書類が完成し、署名して..未だ出せなかった。クレジットカードが使えないのだ。デビットカードしか使えない模様で、仕方なく外へ出てドイツ銀行のATMを見つけてキャッシングした。40ユーロは高いが、荷物はこれでかなり減った。旅程後半に、土産物でもう一度やらねばなるまい。

 ようやく駅へ行ける。アイゼナハへはIオープンタイプの座席Cに乗るのだが、よく見たらこれは明後日フランクフルトに向かう列車と全く同じだ。11:15にライプツィヒを出発。1等車はオープンタイプが1両、コンパートメントタイプが1両半あって、半車のほうは軽食堂との合造になっている。車内はけっこう混んでいて、オープンタイプの車両の、「ヴァイマールからフランクフルトは指定」、の札が入っている座席に座った。この地の鉄道の座席指定は区間が明示されているので、それ以外は自由席の扱いになる。ヴァイマールで他に空いている席を探して移ればいい。
 外はどんよりとしていて景色はきれいでなく、加えて窓が非常に汚いので、外を眺める気にはあまりなれない。こんなこともあろうかと、PCを開いて旅行記の原稿を書いていくたびれたコンパートメントた。ヴァイマールまでは1時間弱で、駅に着くとともに座席を移動する。コンパートメントの車両に空きがあったので座ることができた。このコンパートメントはかなり年季が入っており、座席は擦り切れ、肘掛はがたつき、頭のクッションにはカヴァーもない。しかし、最新のICEの1等に比べれば一人当たりのスペースはあるし、こういう古きよき時代の車両も残してもらいたいと思う。しかしまあ、この状況を見るともはや放置されているのは明らか。寂しいアイゼナハ駅にてものだ。
 アイゼナハには予定通り12:53に到着。プラットフォームは新しくしてあるようだ。駅舎は小さくていかにも地方駅の趣。教会を模したのか、ステンドグラスが2枚あり、片方にはオペルの工場があることを示す文字があった。

ニコライ教会 アイゼナハはライプツィヒに比べれば多少南西だが、やっぱり寒かった。気温は11℃。市街地まではすぐで、ニコライ教会を過ぎて左手に少し歩くと、商店街が現れる。道路を工事していて、掘り返した跡に埋める石畳の材料が積まれていた。日本だと、掘った跡はアスファルト舗装だろう。ちゃ石畳を修繕中んと、同じような大きさの石が準備されているのに、妙に感服した。
 ある薬屋さんがあるところで右に入ると、さらに賑やかな商店街になった。平日の午後だが人通りが多い。適当に店を選んで、そこで昼食とする。メニューの一番最初にシュパーゲルのお勧めがあるので、Schnitzel mit Spargel und ブタのカツレツ、シュパーゲルとコロッケ添えKrokettenなるものを注文。ブタのカツレツ、シュパーゲルとコロッケ添えってところ。飲み物はアイゼナハー・ヴァルトブルク・ピルスという地元産だと思われるピルスナータイプのビール。外は寒いけど店の中は暖かいので、ビールが美味しい。シュパーゲルは昨日食べたのより若干小ぶりだがやはりシュパーゲルの風味はきっちりあって良い。パリパリのシュニッツェルも良かった。コロッケは小さく、ジャガイモをすりつぶしたものを揚げただけで、それそのものにはほとんど味がなかった。これは少々物足りない感じがした。ビールも合わせて9.5ユーロだったので比較的安かったと思う。

 商店街を抜け、市庁舎がある広場に出て、山のほうに歩くとルターが住んでいた家がある。聖書を訳したのはヴァルトブルク城のほうで、こちらは学生時代を過ごした家だ。入館料は写真撮影権込みで5ユーロ。醸造業者の家に下宿していたので、建物が大きく、坂道に建てられているため家の中は段差だらけである。時代が時代だけに、展示物はルターが使っていたものがあるというわけでもなく、写真撮影権をもらったけど、あまり撮らなかった。宗教改革に興味がある方には、いろんな資料があって面白いところだとは思う。
ルターが下宿した家 家の中は段差・階段だらけ 当時の学生の服装 当時の学校の様子

古い家だがきれい そこからもう少し上がるとバッハハウスがあるはずだ。アイゼナハの町は広くはなく、車も頻繁に通らないので静かである。古い家も現役で使バッハハウスわれていて、きれいに整備されているのが好もしい。

 バッハハウスに着いた。正確には生まれた場所ではなく、バッハが生まれた後に父が買って移り住んだ家だが、いずれにしてもバッハがここで育ったことは確かなことだ。黄色い建物がその家で、グレーの新館がつながっており、入口は新館側にある。6ユーロの入館料を支払うと、チケットに15時からライヴ演奏あり、と案内があった。旧館の地階でバッハ当時の楽器バッハ像(の複製)の演奏と説明があるようだ。その時間がもう近いので、展示を見るのは後回しにして、しばらく中庭や付近を歩いていた。
 15時を少し回ったところで私たちの回となった。演奏はここの学芸員中庭から見たバッハハウスの女性がするのだが、非常に早口で、どうもかなりせっかちな方とお見受けした。独英2ヶ国語で説明するために、独英とも、ものすごく早くしゃべるのである。そして英語のところでときどき間違えていらっしゃった。演奏にもそれが出ていて、えらく急いだ演奏で、右手と左手がちぐはぐだし、残念ながらこれは気になった。オルガンの演奏では、観客から一人呼び、ふいごを操作させたり(ふいごがサボると音が消えてしまう)、そういう演出はなかなか良かった。
 演奏後、楽器を見ながら質問コーナーのようなのもあった。同じ部屋にトランペットなども展示されていて、客の一人が「この時代はヴァルヴがなかったんだ、それで演奏するのはものすごく大変だったに違いない」と誰に頼まれたわけでもないのに話し始めた。そんなん知ってるって。

 さて、展示を見て回ろう。旧館は木造で、裏庭から見ると分かるのだが、梁がかなり湾曲していいる。だから館内を歩くと平坦ではないし、ミシミシギシギシと盛大に音がする。大柄な西洋人が歩いても大丈夫なんだから気にしなくてもいいとはいえ、自分も体重はあるほうなのでちと怖い。展示内容は、楽器などのほかに、当時の風俗を見せるために靴や服などの展示があるのも良いと思う。
ふいご用の革紐を引く バッハの成績と時間割 黄色いカーネーション 当時の家具など キッチン

 新館には音と映像関係の展示がある。特に、バッハの作曲技法や音楽史の解説(例えばフーガであるとか、以前の曲で使われた音形をパロディで使うやり方とか、平均率と純正調の関係とか)は非常に詳しい。それぞれがipod(展示物に固定)に入れられていて、ヘッドフォンで聞けるのだ。独英を選べるようになっていて要するにipodのファイルが独英2種類だけ入れられている、って感じか。バッハの肖像画のコレクションも興味深かった。いろんな人が、実にいろんな絵を描いている。新館の最後に、またトランペットの展示があって、ゴットフリート・ライヒェの肖像画にあるカタツムリのようなトランペットの再現品(ライプツィヒのズィーレ作)がおいてあった。そうだ、ズィーレ訪問を忘れていた..勧めてくれたHNさんすみません。
新館の展示 かなりマニアックな内容 骨格再現まである 10種類聴き比べ ジーレ作のレプリカ

 展示を見終わると、16:40過ぎ。ヴァルトブルク城は17時でおしまいなので、見ることができなかった。最低でも、1時間アイゼナハにては早く出てくるのだった。

 帰りのIC79673列車では最初からコンパートメントの部屋に座り、ずっと寝ていた。少し疲れが溜まったようだ。




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